才人今も人々の意識の中に

◆ 松尾芭蕉
basho1.jpg (10705 バイト) 芭蕉翁は、正保元年(1644年)伊賀国柘植郷上柘植村拝野(現三重県伊賀市柘植町山出拝野)に生まれた。幼名を金作、後に宗房、甚七郎、半七ともいう。父は松尾儀左衛門(上野移住後与左ヱ門という)、兄は、半左ヱ門、姉は伊賀市愛田(現地名)の竹島四郎左ヱ門景勝に嫁いだ。竹島家過去帳には湖岸栄江大姉とあり、傍注には景勝妻實は上柘植村松尾儀左ヱ門娘、元禄15年8月17日滅と書かれている。愛田松栄寺の竹島家の墓地に湖岸栄江大姉の墓碑がある。一の妹は片野頼寿、二の妹は堀内久親に嫁ぎ、三の妹オヨシは長兄の養女となった。芭蕉の柘植出生説は、安永7年(1778年)刊、高橋梨一の「奥の細道管菰妙」、天明元年(1781年)刊、安屋冬季の「蕉翁略伝」、寛政10年(1799年)刊、泊船居竹二坊の「芭蕉翁正伝」に記されている。
◆ 横光利一
yokomitsu1.jpg (7731 バイト) 明治31年(1898年)3月17日、父梅次郎と母こぎく(中田小平・きくの4女)の長男として福島県に生まれた。母こぎくは、伊賀市野村(現地名)の中田小平・きくの4女で、父が鉄道工事に従事している頃、柘植の地で知り合った。利一には4才年上の姉しずこがおり、小学校1〜4年生までの間、母の実家の伊賀市野村(現地名)に住み、東柘植尋常高等小学校(現柘植小学校)へ進学した。後、大正12年小説家として文壇にデビュー、川端康成と共に新感覚派運動を展開し、ついで新心理主義文学に移った。作品に「日輪」「機械」「寝園」「紋章」「旅愁」などがある。利一は、親友故澤井善一(伊賀市柘植町)氏に柘植への慕情を記した手紙を多く送っている。その中で「やはり故郷といえば柘植より頭に浮かんできません」とか、利一が小学校5年生以降柘植に帰らなかったことについて「好きなればこそ帰れないという苦しさ、これは文人ならでは分からぬことです」と俳聖松尾芭蕉の心情や柘植への郷愁を記している。彼がよく登って物思いにふけったという小さな丘には利一の文学碑と川端康成の解説文碑が建てられている。
◆ 橋本 策(はかる)
hashimotohakaru1.jpg (6024 バイト) 明治14年(1881年)5月5日、4代続いた医師の家系の橋本謙之助・りゆ夫妻の3男として三重県伊賀市御代877番地(現地名)に生まれる。九州大学医学部を卒業後、特異な甲状腺腫を発見、橋本病と命名される。後、郷里にて開業するが、昭和9年1月9日自宅で急逝、享年52歳、菩提寺専念寺に眠る。

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